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返信ありがとうございます☆

 投稿者:よしお  投稿日:2005年 6月 7日(火)01時14分0秒
  庵魚堂様ならびに肝高様ご返信ありがとうございます。かねてから、太子堂側から見て富士見湯のカド”太子堂3-33”から、常盤湯の手前”太子堂3-25”あたりまでバイパスっぽい道が出来てしまってなんでここに商店街があるのか不思議に思っていました。このバイパスのおかげで、かつて抜け道として利用させていただいていたのですが・・・(^_^;)肝高様の情報によると戦前の1932年には今の地名になっていたみたいですね。庵魚堂様の情報によると商店街は戦時中に疎開してきたとの事だったのでちょっと疑問に思いました。しかし、庵魚堂様の話に出てくる戦争を大東亜戦争と思っていたのですが、第一次大戦時に疎開したと思えば納得がいきます。ただ、1923年に関東大震災が起きていることから、この地震で被災した方々が移り住むのも十分考えられる気もします。どちらにしても商店街の形成と地名の由来にはあまり関係がないみたいですね。  


 投稿者:アニマル  投稿日:2005年 5月26日(木)07時00分1秒
  花の写真見させてもらいました。
俺も花の名前がわかるようになりたいです!
でも食えるもんにばかり目がいきます・・
 
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

下の谷(訂正)

 投稿者:肝高  投稿日:2005年 4月17日(日)18時53分23秒
  「東京の戦前 昔恋しい散歩地図」



「東京の戦前 昔恋しい散歩地図 2」

です。
 

下の谷

 投稿者:肝高  投稿日:2005年 4月17日(日)18時49分46秒
  ご無沙汰しております。

下の谷商店街、もう20年近くも前の連休中にたまたま立ち寄ったお蕎麦屋さんの「ほていや」さんを捜すために、3年ほど前に行ってみたところ、随分かつての商店が住宅化してしまってはいましたが、お店は健在でした。
ここの「しそざる」。見様によっては、「ざるそば」の海苔を青紫蘇の葉の千切りに変えただけなのですが、これからの季節にはピッタリのすがすがしい味で、オススメす。

ところで本題ですが「下の谷」。先日購入した

東京の戦前 昔恋しい散歩地図
アイランズ編著
草思社 2004年10月28日刊
ISBN 4-7942-1350-6

の91ページに転載されている
ポケット大東京案内
綱島定治著
地人社/竹田弘文堂 昭和6(1932)年刊

の地図を見ると、このあたりの烏山川(本流)が真北方向に流れているあたりのすぐ左(西)の位置に「下ノ谷」という字名が記載されています。

おそらく烏山川の「谷」にちなんだ名前なのだろうと思われます。
 

下の谷商店街

 投稿者:庵魚堂  投稿日:2005年 3月10日(木)18時43分22秒
  下の谷商店街は、戦時中に下町の商店街がここに疎開してきたのが発端だからだそうです。
その商店街とは台東区の谷中だと聞いたことがあります。「下町・谷中」を略したものでしょうか。
おなじ台東区にずばり下谷という地名もありますけど‥‥。

下の谷。
いかにも水と縁のありそうな名前ですけど、烏山川のそれは地名ではないみたいです。

http://homepage2.nifty.com/riverside

 

下の谷の由来って何でしょう?

 投稿者:よしお  投稿日:2005年 3月 6日(日)01時04分3秒
  どうもお久しぶりです。
 昔のことを思い出していてふと思ったのですが、下北沢が再開発されるようですね。三軒茶屋の再開発と同じように中途半端にならなければいいのですが・・・。
 ところで北沢川と合流する烏山川についてですが、太子堂の近くに下の谷商店街という名前の商店街があります。これって昔は下の谷って呼ばれていたのかな?とちょっと思ったのですが何か知っていますか?もしご存知なら教えていただけたら幸いです。
 

訂正「土手の桜と祠」

 投稿者:肝高  投稿日:2004年 7月 8日(木)14時55分4秒
  「稔」は、「楡」の誤りでした。
 

土手の桜と祠

 投稿者:肝高  投稿日:2004年 7月 8日(木)14時53分23秒
  鴨の赤ちゃん、(遠巻きに)見に行きたいのですが、なかなか時間がとれずに残念です。
ところで、面白い話を見つけました。(おそらく)江戸時代の兵法書「武教全書詳解」にこんな記述があるそうです。
「古来堤防上に植栽せし樹種を見るに大宝の営繕令に於いては,水防用として稔・柳・雑木の植栽を規定したれども,特に多きは桜樹なり。桜は観覧の際堤塘を踏固めしむるに好都合なりとして之を植えたるもの多く,荒川筋に於ける吉見堤・向島堤および伊勢宮川堤等其例多し。…又堤防をして自然に踏固めしむる別の方便として古来堤上に神祠を祀り,毎年例祭を定めて群集に踏固めしむるもの多く,信玄堤は其北端赤岩に三社明神を祀り,又文命堤は神禹を祀りて,毎年来賽するものとして各自河原より玉石を祠前に賽せしめたるが如き方法を採り来れり。」
 

鴨の赤ちゃん2

 投稿者:管理人  投稿日:2004年 6月16日(水)12時54分50秒
  OCEAN様 ありがとうございました。
 鴨の赤ちゃんですが、少し詳しいことが分かりました。

 最初の9羽は、梅ヶ丘の方で産まれたものを移住させたもののようです。
今は一番上流にいて9羽ともかなり大きくなってきています。
 2番目に5羽産まれました。これは例年、雛を作立てている親からのもので、
卵は89個あったようです。
 さらに4羽これも移住させたもののようです。最初は東仲橋より川下にいましたが、
今は少し上流に超してきています。
 後の2グループは、産まれた頃は大体同じくらいですが4羽の方が少し後らしく一番小さいようです。私は先の9羽と併せて勝手に大中小の雛達と言っています。
 中と小の雛達は結局同じ場所にいますから、互いに警戒しあっているようです。

 恐らく、目黒川に雛のうちに帰ることはせずに大きくなるまでこのあたりにいるのでしょう。

  
 

カルガモの赤ちゃんかわいい

 投稿者:ocean  投稿日:2004年 6月 5日(土)09時08分15秒
  カルガモの赤ちゃんすごくかわいいですね。通勤途中なので、毎朝楽しみです。  
ケータイで撮った動画を掲示板に投稿

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